「福島第一原発事故の真実」を読んで
新潟県には世界最大の柏崎刈羽原子力発電所があります
2~4号機の3基は2007年7月の中越沖地震での緊急停止後、一度も稼働しておらず、柏崎刈羽原発の全7基は2012年3月26日に6号機が定期検査のために停止してからは動いていません。
これも2011年3月11日のマグニチュード9.0の東日本大震災で福島第一原発事故があり、その後の検証が十分にされないうちに再稼働はない。という世論から現在も停止したままです。
先日、映画「Fukushima50」をAmazonプライムで観ました
俳優 渡辺謙が福島第一原発事故の対応にあたった吉田所長役を演じた映画です。
吉田所長以外の登場者は、プライバシーの関係もあり架空の人物設定ではありましたが、時間軸にそって何が起きていたのか、切迫した状況下ではそれぞれの立場の人は、どうなってしまうのかが表現されていたと思います。
2011年3月11日 午後14時46分地震発生
2011年3月11日午後14時46分の地震発生時、私は今の新潟市西区平島の1Fの事務所にいました。すごい揺れを感じ、外を見ると電信柱がゆらゆらと揺れていたのを覚えています。
その後のニュースで宮城県沖で地震が発生したことが分かり、すぐに思い出したのは阪神淡路大震災のことでした。
今、被害状況は少ないかもしれないが、時間経過と共にすごいことになるだろうと直感しました。
そして、ニュースから目に入ってきたのは、あの大津波。そして、福島第一原発事故のことです。
チェルノブイリのようになったら、どうなってしまうんだろう。
そう思いながらも、原子力発電所の仕組みもよく分からなかったので、ニュースの報道を見て、その報道が緊迫しているかどうかで深刻さを判断していたと思います。
ただ何となく、東京の人が避難していないから新潟は大丈夫。というくらいの感覚です。
あれから10年。「Fukushima50」を観たことで、あの時に福島第一原発にいた方々が決死の思いで対応していたこと、そして福島第一原発の1号機から6号機までが実際にどういう状況だったのかを知りました。
私たちがニュースを、漠然とした不安と共に見ていた頃、実は日本の未来に関わる未曾有の事態への対応が起きていたことに、10年経った今になって初めてリアルな体験として現れてきました。
もし最悪の事態となっていれば、今こうして生活していることとは全く別の生活、別の人生をしているのかもしれない。
そう思った時に、もう少し詳しく福島第一原発事故のことを知りたいと思い、NHKメルトダウン取材班がまとめた「福島第一原発事故の真実」の本をアマゾンから自然と購入していました。
いざ本が届いてみると、その厚さにびっくり
国語辞書か?と思うほどの厚さ。
学生時代は本を読むのが苦手で、大人なってやっと年に数冊読むくらいの私にとっては、過去最高の厚さの本です。
ただ、読み始めると、吸い込まれるくらいに読んでいる私がいました
あの当時、原子力発電の仕組みについて全く分からなかったのですが、その仕組みに関しての事や、津波による全電源喪失の中、どうやって原子炉を制御して最悪のシナリオである原子炉格納容器爆発を防ごうとしていたのか、そして10年の間に検証されてきたさまざまな真実を知ることに、もともと科学的なことが好きである本能が呼び起こされる感覚でした。
この本が解き明かしている真実は
この本が解き明かしている真実は、実はいろいろな偶然が重なって、原子炉格納容器爆発を防げていたということです。それが最悪のシナリオであった東日本壊滅に繋がらなかったという奇跡です。
必死の海水注入は2号機原子炉内には届いていなかった
もちろん、あの時に現場で対応にあたっていた方々の対応で救われたことの方が大きいのは間違いないですが、2号機に関して見ると原子炉を冷やすために行っていた消防車による海水注入は、本当には原子炉内には届いておらず、逆に届いていなかったことが幸いして、原子炉格納容器内の温度上昇を防げて最悪の事態を回避していたということです。
何とも皮肉なことですが、一番危ないと思われていた2号機は、メルトダウンでの被害が一番少なかったようです。
想定を超える大きな津波は予測されていた
実は「インドネシア・スマトラ島西方沖の地震」の際に、震源地から遠く離れたインドのマドラス原発が津波による被害にあい、運転不能になったことから、日本においても過去の地震からどのくらいの津波にが到達するのかのシミュレーションもされており、東京電力内においても、最大15.7メートルという計算が出ていたにも関わらず、その対策に着手していなかった悲劇もあったようです。
逆に、東海第二原発を所有する日本原子力発電(東京電力を含めた電力会社で出資された、原子力専業の会社)では、過去の延宝房総沖地震での津波調査に基づく津波シミュレーションから、やはり想定を超える津波が押し寄せてくることもありえるとし、密かに防潮堤の高くし、そして建物の浸水対策も行っていたことで、福島第一原発と同じく東日本大震災では津波の被害にはあったものの、電源を喪失することなく原子炉を停止させることができたことも、その後の調査で分かったことのようでした。
もし、東海第二原発でも現電源喪失となりメルトダウンが起きていたら、こちらの方が東京には近かったわけですから、とんでもないことになっていたことでしょう。
柏崎刈羽原子力発電所について
この「福島第一原発事故の真実」を読むまでは、地元にある柏崎刈羽原子力発電所についても、ただ危ないだろうから再稼働はしない方がいい。という漠然とした考えでした。
しかし、この本を読んで見えてくるのは「人間はすべてをコントロールできると思い込んでいる」という傲慢さがあること。
そして想定内・想定外という境界線を、自分たちに都合のいいところに線を引き、その線の内側でリスク管理をしていることが、そもそもの誤りだったと気づかされます。
そして、この延長上の考えでは、柏崎刈羽原子力発電所を再稼働することは出来ないと思えてきました。
今、柏崎刈羽原子力発電所のすべての原子炉は停止しています。
しかし、使用済核燃料も含め、ものすごい量の核燃料があの建物の中にあります。
もし、そこにミサイルを落とされたら、テロの被害にあったら、核燃料はメルトダウンを起こして大量の放射能を撒き散らし、新潟県はもちろんですが東京も含めて住めない町になることでしょう。
再稼働していなくてもそのリスクがありますから、再稼働中にそんなことが起きたら、それほど面積が大きくはない日本は終わるでしょう。世界最大の原子力発電所ですから。
日本はそうとう長い時間をかけて、その間はリスクも想定しながら、今後国内の原子力発電所の廃炉を進めていかなければならないと思います。このことに目を背けて生きていくわけにはいかないと、この本を読んで感じました。
かなり厚い本でしたが、私が生きている間に遭遇した世界史にも残るくらいの原発事故が、どうして起きたのか、そして最悪のシナリオをなぜ免れたのかが解き明かされた、私にとって貴重な2021年夏の一冊でした。
最後に
長年にわたり取材を続けたNHKメルトダウン取材班の方々、そして福島第一原発の事故対応にあたっていた多くの方々に感謝すると共に、その後2013年7月9日に食道癌でお亡くなりになられた吉田所長のご冥福を心よりお祈りいたします。